コース 02 段丘上に発展した北条の街並み ~北条用水をたどる

                        <最終更新 2023.06.07>

コースあらすじ

  つくば市北条に行ったことはありますか。中心の街道に並行して一段低い坂の下を「裏堀」と呼ばれている小さな用水路が流れています。何と鎌倉時代初期にこの地一帯をおさめていた多気太郎義幹が耕地開発や防衛のためにつくったものだと言い伝えられている歴史的な水路です。

 このコースでは筑波山口駅(旧筑波鉄道「筑波駅」)から出発し、この裏堀(北条用水)の取水口をもとめてまず桜川の禊橋(みそぎばし)へ向かいます。そこから水路をたどって義幹の墓のある北条まで下り、水路が地形を巧みに利用してひかれていることを確かめます。北条の街が段丘の上にあることを確かめ、さらに北側の一段高い台地が太古の海の底だった痕跡を見て、台地の地形を利用したブドウ畑、平沢官衙遺跡を訪れます。北条大池を通って台地縁に残っている古墳の遺跡を見たあと、最後は旧筑波鉄道の「常陸北条駅」に向かいます。あとはつくばりんりんロードで起点の筑波山口駅まで一気に戻ります。北条用水をたどって大地の成り立ちと北条や平沢の歴史を探ってみましょう。

コースデータ

  • 起点:筑波山口駅(旧筑波鉄道「筑波駅」)。つくばりんりんロード筑波休憩所として駐車場,レンタサイクル,トイレ・休憩所があります

  • 終点:起点にもどります

  • 走行距離:約14km、高度差:約20m

  • 所要時間:約3時間(走行時間は約1.5時間  )

地図と高低差

<地理院地図より作成>

 

<起点からの距離と高低差> <段採図はこちら

<Google Map>を閲覧できます。近隣情報や現在地がわかります。

    

<地理院地図>下から地理院地図を閲覧できます。十地点の標高がわかります(左下⇒)。

地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

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レンタサイクルの利用について

 起点の筑波山口駅事務所でレンタサイクルを借りることができます。誰でも簡単な手続きで1日500円でヘルメットと自転車を借りることができます。詳しくは下記のホームページをご覧ください。

  つくば市レンタサイクル | つくば市サイクリングガイド

主な見どころ

*本文中の[ ]内数字は【参考資料】の番号に対応しています。アンダーライン(または青字)の用語は【ジオコラム】に解説があります。

1. <起点>筑波山口駅(旧筑波鉄道「筑波駅」)

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 コース起点の筑波山口駅は旧筑波鉄道「筑波駅」の跡です。ちょうど路線の中間地点にありました。昔のホームや駅舎の一部が残っていて駐車場やトイレ・休憩所があります。駅の事務所でレンタサイクルを借りることができます。準備ができたら出発しましょう。

  

 <禊橋よりあとにできた新しい桜川> りんりんロードを北に進みすぐ左折し旧道を通ってから県道14号交差点を横断、桜川に向かいます。桜川にかかる禊橋(みそぎばし・1986年3月完成)の中央で下流方向を見ると、川の左岸に古い桜川の跡が見えます(写真・本流との境に小さな堰がある)。「今昔マップ 関東1988-2008」[1] で昔の地図を見ると、いまの禊橋と蛇行した古い桜川が描かれています(下図)。つまり、橋下のいまの桜川とダムは橋が完成した1986年の後に人工的に作られたものであることが分かります。

   

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2. 桜川中流ジオサイト

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 <北条用水の取水口> 橋をわたってすぐ左折、右岸堤防の広場にでると、筑波山地域ジオパーク推進協議会 [2] が設置した「桜川中流ジオサイト」の看板が見つかります。目の前のバルーン堰は灌漑期(4月初めから8月終わり)にだけふくらみ、満水になると堰のすぐ手前にある鉄格子の取水口まで水面があがります。満水時の水面の高さは堤防の標高(約18m)から推定するとおよそ17mくらいでしょうか。これが北条用水の取水口でここから北条まで水が流れるしくみです。ちなみに、上で見た改修前の地図をみると、昔の堰と取水口はは蛇行した桜川のすぐ下流にあり、その先は今とほぼ同じ水路を流れていたことが分かります。

 <河原の石は昔の鬼怒川由来> 灌漑期以外はダムの底には広い河原が現れ、いろいろな種類の礫(丸い小石)を観察できます。解説看板によれば、この礫は昔このあたりを鬼怒川が流れていた時に日光地域から運ばれててできた礫層に由来するものとの説明があります。河原に下りるときは足元に十分注意しましょう。 

 

 <桜川の洪水と微高地> 解説看板には1986年の台風10号による桜川洪水時の空中写真があります。それによるとこのあたりの低地一帯は洪水で冠水しましたが、いくつかの集落は洪水を免れた様子が分かります。このような集落に行ってみましょう。

 旧道をたどっていくと洪水から免れた集落の一つ中菅間地区に入ります。ここは古代の遺跡(菅間稲荷塚古墳、6世紀後半頃)が残るほどの古い集落のようで [3] 、 いまは宅地や神社・畑地になっています。畑の土は少しローム質なので更新世下位段丘だと思われます。まわりの水田が標高17mくらいなのに、それよりほんの1-2m高いことで洪水を免れていたわけです。

 

 <桜川の原風景> 集落をぬけ、昔の街道らしい旧道にでて桜川にかかる中貫橋を渡ります。木製の欄干の橋で(さすがに橋げたは鉄骨ですか)、ここから上流を見ると、なるほど、もともとの蛇行する桜川の様子がよく分かります。川岸は河床から2-3m高い自然堤防でしょうか。北条用水はこのような自然堤防の上を流れていると思われます。

 

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3. 北条用水

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 <古い集落を流れる北条用水> 中貫橋を渡り左岸側の堤防を越えてしばらく進みむと大貫地区に入り、ここに北条用水にかかる小さな橋があります。地図を見ると橋の標高は18mですから、用水が桜川左岸の自然堤防の上をほぼ水平に流れていることがわかります。

 <寄り道:コースからはそれるのですが、この橋から用水路に沿って250メートルほど上流で(草が茂って自転車でいくのは難しいかもしれません)、北条用水が東の神郡から流れてくる逆川の下をくぐるところがあります。現在はコンクリートでできたサイホンの施設ですが、昔はどのように交叉していたのか想像してみましょう。>

  <神郡(かんごおり)条理遺跡> いかにも古い歴史を感じさせる大貫の集落を通り過ぎると県道14号の交差点に出ます。信号を渡り神郡方面に向かう田んぼの中の直線道路を東に進みます。素晴らしい美田が広がりますが、弥生時代の水田の遺構(神郡条理遺跡)が近くで発掘されているそうです。発掘の時、摩耗した弥生式土器が偶然に見つかったそうです。桜川の洪水で近くの微高地から流されてきたのかも知れないと考えられているようです[3]

 <水田にそびえる筑波山の絶景> いずれにせよ2000年ちかくずっと人々がこの土地を耕しつずけてきたわけですから本当に驚きです。ここから眺める筑波山南麓のパノラマは絶景の一つですが、なぜ田んぼの中からいきなり877mの山がそびえているのでしょうか。

 

 <寄り道:これも別コースですが、大貫の北条用水にかかる橋から用水路に沿って下流にすすみ、杉木の県道14号交差点まで走るコースもおすすめです。北条用水が周囲の水田より2-3mの高さに造られていることがよく分かります。ただ、車は通らない道なので冬場以外は路面に草が繁って走りにくいかもしれませんので注意してください。>

 りんりんロードにでたら北条に向かって南下、旧筑波鉄道の杉木駅があった交差点にでます。ここで北条用水と交叉するので気をつけて走りましょう。

 <自然堤防から洪積世の段丘上へ流れる用水> 周囲の田んぼはだんだん低くなり標高15-16メートルほどですが北条用水はほとんど水平のままです。このあたりからは自然堤防から乗り換え、洪積世の段丘の縁を流れていると考えられます。

 北条市街に入る直前に「多気太郎義幹の墓入口」の案内看板があります。斜めに左折して坂道を登っていくとまた北条用水に出会います。たしかに一段と高い段丘の上を流れていることがわかります[4]

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4. 多気太郎義幹の墓

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 <鎌倉時代にどのように設計されたのか> 北条用水は鎌倉時代初期に多気太郎義幹により耕地開発や街を守る防衛のために造られたと伝えられていますが、北条の高台に水を引く設計や測量はどのようにされたのでしょうか。桜川一帯を支配していたからこそできたのだと想像されれますが、義幹の墓が用水を眼下に見下ろす高台にあることも興味深いです。

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5. 街中の北条用水(裏堀)

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 <台地の地形を利用した北条の街並み> 北条の市街は高さの異なるいくつかの段丘上に発展しているようにみえます。 仲町の中心市街地は標高が20m近くにありますが。北条用水は中央通りより低い標高16m位の裏街を東に流れています。明瞭ではありませんが高さの違う段丘面があるように見えます(河川の浸食斜面上の地形という解釈もあるようです [5]。) いずれにせよ北条用水はここまで来ると桜川本流(河床の標高は13mくらいか)とは大きな標高差ができています。

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6. 北条の街並み

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 <交通の要所だった北条の街> 古い民家や商店が並ぶ北条の中心市街は、江戸時代ころから街道筋の街として栄えていたようです。仲町の交差点角に「ここよりつくば道」の大きな道標がありますが、最初のものは正徳5年(1715年)に建てられたそうです。石碑の土台に刻まれている「小澤惣兵衛」は当時の大きなお店だったのでしょうか。北条では米のほか醸造品、大豆や綿、油なども盛んに取引されて定期的に市が立っていたようです [3]

 

 仲町の中ほどに「北条ふれあい館(旧田村呉服店)」という古民家の無料休憩所がありますのでお話を聞くことも楽しみです。

 

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7. 八坂神社

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 <台地の縁にある古墳> 仲町を過ぎて鍵状に折れ曲がった角の高台に八坂神社があります。もともと台地の縁にあった円墳が土台にあったそうです(八坂神社古墳)[3]。神社の左手には古い石造五輪塔があり県指定工芸品に指定されていて、地輪には経筒が収められていた穴の跡があるそうです。

 <上位段丘に登る> 八坂神社前のかぎ型の曲り角を過ぎてさらに東へ200mほど進むと大きなT字路に出ます。そこを左折し、比高(標高の差)が10m以上ある坂道を登っていきます。かなり急ですので自転車を押して歩いて進むと良いでしょう。上に広がるひろい台地は中台の台地と呼ばれ標高は約30m以上あります(上位段丘)。次のみどころポイントへ行く前に台地上の畑を散策してみましょう。ローム質土壌のブドウ畑や野菜畑になっています。

 <桜川沿いで最大の上位段丘> 桜川流域全体でもこのように広い上位段丘が広がっているのはこの中台台地のほかには見当たりません(最上流の岩瀬盆地は別として)。なぜ桜川左岸のこの場所で広い台地が残っているのか、本シリーズを通して考えてみたいと思います。

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8. 古東京湾の地層

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 <むかし海であった証拠は何か> 公民館がある十字路に戻ります。公民館の敷地に駐輪しフェンス越しに向かいの民家裏にある小さな崖(露頭)を見てみましょう。粒のそろった黄褐色の細かな砂の層が見えます。これは昔の海岸近くにたまった砂層で、ここがかつては海の底だったことがわかります 。近隣の別の露頭では波打ち際に棲んでいた特徴的な生物の痕跡(白斑状生痕化石)もあります。

 <美しい筑波山の秘密がわかった!> 実は、関東平野の広い範囲でこのような海が広がっていた証拠が見つかっていて、その海は約13万年前~12万年前にあった「古東京湾」とよばれています。古東京湾がこのように山麓のすぐ近くまで迫っていた場所は関東平野ではほかにありません。類まれな筑波山の美しい景観の秘密はまさにそこあるといえるのではないでしょうか。

 

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9. ブドウ畑

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 <台地の新たな土地利用> 砂地の台地は水はけがよいのでブドウ栽培に適しているのか最近になってワイナリーもでき、地元産ブドウ酒の生産が始まりました。筑波山麓にはほかにもこのような台地を利用したブドウ栽培が盛んになっており、新たな土地利用の形が見れます。

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10. 平沢官衙(かんが)遺跡

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  <古代の土地利用> 今から1000年以上前の奈良・平安時代の筑波郡役所(官衙)跡で昭和50年ころから発掘調査がされ、建物の一部が復元されています。全国的にも数少ないこの時代の遺跡だそうで国の史跡に指定されています。台地の上は穀物や織物など物資の貯蔵に適していたのでしょうか、大規模な高床式倉庫群が並んでいます。堀立柱の礎石にはどんな種類の岩石が使われたのかも注意してみてみましょう。約半分は変成岩、半分が花崗岩でいずれもすぐ近くの筑波山麓に産出する岩石です。

 歴史広場には休憩所や売店、トイレがあり一休みできます。宝篋山の登山口でもあり様々なパンフレットが置かれているので立ち寄ってみましょう。隣にあるジオパーク解説看板にはこのあたり一帯が「古東京湾」の海岸だったことが説明されていますので見てくだい。

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11. 北条大池

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 筑波山麓でも人気の桜の名所で、水面に映る筑波山や宝篋山は絶景です。農業用灌漑池として江戸時代以前には作られていたようですが台地の地形を巧みに利用している様子をみてみましょう。真ん中の小さな島は地元では「弁天様」と呼ばれているそうです。

 

 新町のバス通りにでたら信号を渡りバス通りを西へ300mほど進むと「平沢入口」のつくバス停留所があります。細い小道を右折し50mほどすすむと数mの比高がある台地があらわれ、その縁に古墳がすぐ見つかります(看板などはありません)。

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12. 中台1号墳

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 <台地縁の古墳群> 中台1号墳です。これは北条や平沢周辺に集中して分布する横穴式石室古墳群の一つで、古墳時代はこのあたりが最有力豪族の本拠地だったことを示すと考えられているようです [3]。桜川低地や対岸の筑波台地まで一望できる台地の縁に多くの古墳群が分布するのは、当時の豪族の権威を示そうとした意味があるのかもしれません。

 <平沢は古墳石材の産地だった?> 石室の石材は周辺山地にある変成岩(雲母片岩)ですが、1億年以上も前に海底にたまった砂岩などの堆積岩が、その後地下深部の圧力やマグマの熱で変成した板状の岩石です。古墳時代、平沢地域は埋葬石材の主な産地だったようで、千葉県あたりの遺跡でも使われていたそうです[6]。手で触って硬さやきらきら光る鉱物の様子を確かめて見ましょう。

 <再び北条用水に出会う> バス通りに戻り街中の小道をどんどん西へすすむと角に大きな石碑の立った昔の駅前通りにぶつかります。ここで再び北条用水に出会いました。このあたりの標高は16-17mですから用水面は15-16mくらいでしょか。つまり用水の水は取水口からここまでほぼ水平に流れてきて、この先で広い水田に配水されているわけです。

 <筑波山地域ジオパークの拠点> 南に向きを変えた北条用水に沿って最後の見どころに向かいます。途中で旧筑波東中学校の門の前を通りますが、2023年秋にはここに筑波山地域ジオパーク推進協議会の拠点施設が移転する予定です。完成したら筑波山地域ジオパーク全体の情報を得ることができるでしょう 。

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13. 旧筑波鉄道「常陸北条駅」跡

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 <今は寂しい常陸北条駅跡> 常陸北条駅跡に到着。すぐ南には県立筑波高校があり、北側には広い駅前通りが残っていて側線のホームもあります。今は寂しい駅前ですが、かつては北条の玄関として通勤や通学・観光客でにぎわったのでしょう。

 ここから起点の筑波山口駅までつくばりんりんロードで一気に戻ります。約4kmありますが、りんりんロード一番のビューポイントで筑波山を見ながら走りましょう。

お疲れさまでした!

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近隣のおすすめグルメ店、おみやげ売り場

 国道125号交差点角(ウエルシア向い)に「筑波農産物直売所」があります

。北条米や野菜・果物など地域の農産物を買うことができますので、お土産にどうぞ。

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【参考資料】

 本文中の[ ]内の数字と対応しています。

[1] 谷 賢二 「今昔マップ on the web」

      https://ktgis.net/kjmapw/  (2023.01.25参照)

[2] 筑波山地域ジオパーク推進協議会ホームページ

    https://tsukuba-geopark.jp/  (2023.01.26参照)

[3]  筑波町町史編纂専門委員会編(1989)筑波町史(上巻・下巻)

[4]  5万分の1都道府県土地分類基本調査(真壁)地形分類図

  https://nlftp.mlit.go.jp/kokjo/tochimizu/F3/data/L/0804L.jpg  (2023.01.25参照)

[5] 宇野沢昭ほか (1988) 2 万5 千分の1 筑波研究学園都市及び周辺地域の環境地質図説
         明書、特殊地質図(23-2),地質調査所,139p.

        https://gbank.gsj.jp/geonavi/geonavi.php#16,36.17854,140.08441  (2023.01.25参照)

         地質図は上のWebサイトから、「地質図幅選択」⇒「各種シリーズ」⇒「特殊  

   地質図」⇒ 「筑波研究学園都市および周辺地域の環境地質図」を選択ください。

[6] 浅野孝利(2022)石棺・石室石材から見た古墳時代常総地域の流通,筑波大学 先 

  史学・考古学研究 第33号 33-59

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【ジオコラム】

自然堤防:洪水時などに川が運んできた土砂が川の周囲にたまり自然にできる堤防です。その外側にできる軟弱な後背湿地より地形的に高く地盤も良いので、洪水にも免れることがあり昔から畑や宅地に利用されてきました。

更新世(こうしんせい):地質時代の呼び名で258万年前から1万2千年前までの時代の呼び方です。人類が繁栄した時代で地球規模で気候が寒冷になり氷河が発達した時期(氷期)や温暖な時期(間氷期)がくりかえされました。更新世の後、現在までの時代を完新世(かんしんせい)といい、比較的温暖な気候の時代です。

ローム:昔の富士山や赤城山など近隣の火山が噴火した時の火山灰が降り積もった地層で、永い間に風化し粘土質になった土壌の一種です。いわゆる赤土(あかつち)です。

上位段丘・中位段丘・下位段丘:  このコース周辺には平坦な台地がよく見られます。これらは地盤の上昇と地球規模の気候変動による海面の低下により生じた河川の浸食作用できた段丘です。段丘は標高の違いによって上位段丘(このあたぁりでは標高30mくらい)、中位段丘(同じく20数mくらい) 、下位段丘(同じく10数mくらい)に区分されています [4]。段丘を構成する地層の時代から、その形成の順序は下図のようになっていると考えられます。なお、図は模式的なもので具体的な地名に対応したものではありません。

 

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段採図(地理院地図より作成)

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5万分の1都道府県土地分類基本調査(真壁)地形分類図 「真壁」及び「土浦」